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後村上天皇興国元年(1340)太宰少弐正家が太宰府天満宮の分霊をこの地に勧請した。祭神は菅原道真命である。明治維新の際、変格して村社となり、加布里区のみの鎮守となった。現在の祭日は4月25日と10月1日である。 |
生涯、九州の旅を望みながら永眠した師芭蕉の意志を門弟達四十世命が九州各地に二百基余の句碑建立を行った中で、最大の句碑である。建立は安政6年(1859)のことである。句碑の文字は幕末の歌人、大隈言道が書いたものである。 |
天保5年(1834)日田郡代塩谷大四郎の指揮により岩本北部の海岸を干拓し、千早新田村を作った。それを祝して博多正福寺の仙崖が送った自筆の祝い詩。「千早振神代の海を田作りて民もゆたかに歌ひ舞里」歌ひ舞里は加布里の意味。 |
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