現在の福岡県前原市加布里の東本町附近。子ども達がはちまきを巻き、太鼓を持って道の中央に出ないように縄が張られている様子から、山笠か山笠の先触のドンカン様の一行がやって来るのを待っているようだ。 ドンカン様とは、昔加布里の山笠では山笠本番前に鐘や太鼓をドンカンドンカン打ならして、里を回る行列隊があり、その事をそう呼んだ。 |
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昭和5年(1930)の加布里の山笠の様子。現在の国道202号線を加布里のホテル此の里附近から、二丈町との境にある、箱島を目指して東、中、西の3つの流れが向かっている様子。 |
昭和初期の加布里港のワンショット。現在の加布里港の西の端の福博ヤンマー附近。風貌は変わっているが、現在の灯台がある場所に昔の灯台が写っている。この写真には消防団や警察官が写っているので湾内救護船の水進式だと思われる。 |
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昭和10年代頃の写真で、場所は現在の前原市と二丈町の境界線にある、箱島附近の砂浜で、後ろに箱島が写っている。写真の船は加布里港に船籍をおく、米福丸の6号か7号と考えられる。漁夫と船の大きさを比較すると、現在の漁船よりかなり大きい事がわかる。 |
昭和8年10月米副丸5号と6号の水進式の様子。この様に巾着網漁は、4隻が1船団となり、母船をはさんで2隻が両端につき、網をしかけた。そして運搬船は捕れた魚を加布里港や博多港、門司港に水揚げし、常に漁場を往復していた。 |
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古き良き時代の加布里の写真を発見次第、常時掲載していきます。
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